弁護士大久保康弘のブログ

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読書記録 「秘伝・日本史解読術」荒山徹

この著者の小説は何冊か読んだことがあります。代表的なのはこの作品でしょう。

 

徳川家康 トクチョンカガン (実業之日本社文庫)

徳川家康 トクチョンカガン (実業之日本社文庫)

 

徳川家康は「トクチョンカガン」であったという小説です。 なぜ「トクチョンカガン」かは実際に読んで下さい。奇想の歴史小説家といっていいでしょう。

今回読んだのは小説ではなく、日本史全体を見渡す本です。 

秘伝・日本史解読術 (新潮新書)

秘伝・日本史解読術 (新潮新書)

  

この本には、系図の作り方や歴史小説の読み方などいろいろ有益な情報も書かれていますが、この本に書かれたことで、注目すべき指摘がいくつかあります。

第11章「日本史上の二大画期」において、「承久の変こそは明治維新と並ぶ日本史上二大画期」とされ、鎌倉幕府の開設ではなく、1221年の承久の変が日本史における革命であり、北条義時は世界史的な偉人だということです。

 

承久の変といえば後鳥羽上皇後鳥羽上皇といえば保田與重郎の「後鳥羽院」という連想がすぐに働くのですが、日本の歴史の重大な転換点における勝者が北条義時、敗者が後鳥羽上皇ということになります。

 

北条氏と言えば、その後の1232年の北条泰時の時代に、「御成敗式目」が制定されています。山本七平の「日本的革命の哲学」によれば、武家社会の慣習法を明文化した御成敗式目の制定こそ日本における革命だという評価がなされています。前記の承久の変による武家政権の完全な確立とその政権の基本法である御成敗式目の二つで、平安末期の平家政権及び源氏3代政権という過渡期を経て、完全に武家政権が確立したということになるのでしょう。

このあたりはもう少し掘り下げて考えてみたいところです。

 

また、第12章「二つの中国とモンゴルの侵略」において、現代中国の源流は隋から遡った鮮卑の国である「代」ということも書いてあります。そのあたりは岡田英弘教授の本に書いてあるのということですが、岡田先生の本は何冊か読んだことがあり、それにより視野が広がったという記憶はありますが、具体的に覚えているのは、モンゴルにより世界史は始まったということくらいで、現代中国の源流について何が書いてあったかについては覚えていません。 

 

さらに、第16章「太閤記ものの読み方」において、津本陽の「夢のまた夢」が優れていることを述べているのも面白い。大河ドラマ軍師官兵衛」において朝鮮出兵はほとんどスルーされたのですが、そもそも司馬遼太郎の「新史太閤記」にしてからが朝鮮出兵を書いていない。スルーした理由について著者は「当時の朝鮮が両班のみ栄える奴隷制国家であったことを描かなければならないので、それでためらっているのかな、と考えます」と言っています。 

その他読みどころの多い本でした。

ブライアン・オールディス追悼

先日、山野浩一の追悼記事を書きましたが、それに続いて、英国SFニューウェイブの巨匠の訃報が届きました。

8月19日、ブライアンオールディス氏92歳で死去

https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=5&cad=rja&uact=8&ved=0ahUKEwivpIKW9oDWAhUBybwKHWFeBekQFgg8MAQ&url=http%3A%2F%2Fwww.sankei.com%2Flife%2Fnews%2F170822%2Flif1708220045-n1.html&usg=AFQjCNF0nqeawd1uB_BRdSyMxbolkYUioQ

スピルバーグ監督映画の原案にも」 と見出しにあり、コアな英国SFファン以外の方に紹介するにはやはりそこがポイントかと。

 

地球の長い午後 (ハヤカワ文庫 SF 224)

地球の長い午後 (ハヤカワ文庫 SF 224)

 
 

 やはりこれがが代表作でしょうね。
 
オールディスの邦訳はハヤカワSFシリーズで出たものが多かったのですが、このシリーズは売っている本屋さんが非常に限られており、なかなか入手困難でした。
そんな中で「陰生代」「銀河は砂粒のごとく」「虚構の大地」「爆発星雲の伝説」を何とか入手しました。「爆発星雲の伝説」は中学の時、陸上部の競技会があったため、普段行かない鳳の本屋さんに行ったら一冊だけありました。「暗い光年」は結局入手できず、ペーパーバックで読みました。
一方、創元文庫では、これが代表作ですかね。

 

子供の消えた惑星 (創元推理文庫 640-2)

子供の消えた惑星 (創元推理文庫 640-2)

 

 

オールディスの作品は、いかにも英国らしい重厚な感じが魅力的でした。短編ですが、「爆発星雲の伝説」所収の「一種の技巧」「賛美歌百番」は地球の遠い未来を描きながら、テイストはイギリスそのもので、英国SF好きにはたまらない作品となっていました。
近年でも、映画化にともない下記の作品が邦訳されました。作品自体は77年というパンクの時代ですが、久しぶりにオールディスの名前を聞くことができてよかったと思います。

 

ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド (河出文庫)

ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド (河出文庫)

 

 

 

久しぶりの更新

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久しぶりに更新できました。

前回の更新が4日だったので、約3週間ぶりの更新になります。

その間更新がないのに、アクセスの多い日もあり、見て下さる方がおられることには感謝です。

更新が止まっていたのは、11日に当番弁護士で2件出動したのですが、あまりの暑さのためその後体調不良になってしまい、お盆休みのうち2日は完全に寝たきりだったことが原因です。

このように暴力的な日差しの強さなのですが、普段ならお盆の時期に咲くユリの花が、まだまだこれから咲くものもあるようで、関東はもとより、関西でも日照時間が不足していたのかもしれません。

 

 

西大寺展@あべのハルカス

先週金曜日の8月4日の夜、あべのハルカス美術館で開催中の奈良西大寺展を見ました。

ここは平日なら夜8時まで開館しているのがありがたいところです。他の美術館も金曜日は延長されるところがあるようですが、週に3日くらいは8時まで開館してほしいですね。

 

お目当ては8月6日までの限定公開である浄瑠璃寺の吉祥天立像。

 

「吉祥天像 浄瑠璃寺」の画像検索結果

  

 混雑もなく独り占めでじっくりみることができました。

彩色もよく残り美しく、視線が合うとどきどきさせてくれます。

 

そして塔本四仏座像。

阿弥陀、釈迦の2体の如来はよく見ますが、宝生如来、阿閦如来はなかな見ることがありません。

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「宝生如来坐像」

宝生如来坐像」

 

 

 「阿弥陀如来坐像」  

阿弥陀如来坐像」

 

 

 

「釈迦如来坐像」

   「釈迦如来坐像」         

 

さて国宝ですが、西大寺にありながらもあまり見ることができない国宝の十二天像も、2幅ずつ展示されています。

今回は伊舎那天と羅刹を見ることができました。

  


    • 「伊舎那天像」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「羅刹天像」 

そして2016年に国宝に指定された叡尊、興正菩薩像。

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 叡智がにじみ出るような像でした。

 

その他にも国宝は金光明最勝王経、大毘盧遮那成仏神変加持経の二

 

つのお経と、金剛宝塔、金銅能作生塔を見ることができました。

 

展示点数はあまり多くなかったのですが、国宝率は高く、あまり疲れることもなく満足度の高い展示でした。

9月24日まで。

 

隠れ社寺探訪記(6) 大阪市住吉区 東大禅寺

隠れ社寺探訪記第6回は、前回に続き大阪市内です。

今年から大阪市で行われている文化財特別公開。寺社特別公開のシリーズ第2回は、住吉区の東大禅寺です。

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南海高野線住吉東駅で下車し、東に少し歩くと住宅街の中に鳥居が見えてきます。ここも神仏習合ですね。

 

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鳥居をくぐって少し石段を上ると山門が見えます。古墳の上にできた寺ということです。

 

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門を入るとすくに本堂が見えてきます。

 

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ご本尊は毘沙門天。普段はお前立ちの後ろの扉の中におられますが、今回は特別に拝観させていただきました。漆黒で大きく、顔もいかつく、戦いの神らしい凄い迫力です。

 

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 また前回に続いてここにも荼枳尼天が。

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帰りに資料で教えていただいた近くの宝泉寺に寄りました。

 

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ここは十三仏の石仏があり、外から見ることができます。

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さらに北に歩くと六辻があります。地形的に必然性はないのですが、なぜか六差路になっており、六道ということで閻魔堂があります。

 

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ここでは閻魔地蔵尊が特別公開されており、拝観できました。暗黒の世界の帝王という 風情でした。

 

 

猿田彦と椿大神社

7月25日は天神祭でした。

当日の夕方は、事務所で仕事をしていたのですが、ドンドンと太鼓の音が聞こえたので、行列が来たかなと下に降りたところ、ちょうど猿田彦さんが通るところでした。

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この猿田彦さんは写真で見るようになかなかユニークな風貌をしており、見た子どもが泣いていましたが、風貌だけでなく、経歴というか伝承もユニークです。

 

天孫降臨の際、天照に遣わされたニニギのミコトを地上で出迎えて導いた国津神猿田彦。だから天神祭でも先導役を務めているのですが、まず第1に天孫族ではなく、降臨される地上にいること。それで神なのか、という疑問が湧きます。

また、先導役といえば聞こえがいいのですが、もともと日本にいた勢力からすれば裏切り者、天孫族に内通した者のような気がします。

内通して天孫降臨を実現させた功績に対する褒賞として、神として祀られたのではないかという気がします。

 

妻はアマノウズメノミコというのも面白い。天岩戸に隠れた天照大神にそこから出てもらうため、外で踊った芸能の神様です。

 

猿田彦は最後に、比羅夫貝という二枚貝に挟まれ溺れて死んだというのですが、女に溺れて死んだということでしょうか。あるいはもはや用済みになったのでハニートラップで消されたということでしょうか。

登場から最後までユニークな存在です。

 

この猿田彦を祭神とする神社は、伊勢の内宮の近くの猿田彦神社と、鈴鹿にある椿大神社が代表的なものです。

椿大神社には2013年7月に一度、参拝したことがあります。伊勢内宮でのお白石持ち行事に参加させいていただいた帰りに寄りました。

 

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椿大神社は、この地図にあるように亀山駅から北の方向にあります。

 

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みちびきの神となっています。


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本殿です。


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境内にはアメノウズメノミコをお祀りする鈿女本宮もあります。

 

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このあたりはヤマトタケルの墓という伝承がある能褒野も近く(上掲の地図のちょうど真ん中、井田川と369を直線で結んだ真ん中あたりの緑色の部分が能褒野神社です)、古代の伝承が色濃く、なかなか興味深い地方です。


追悼 山野浩一

 

鳥はいまどこを飛ぶか (山野浩一傑作選?) (創元SF文庫)

鳥はいまどこを飛ぶか (山野浩一傑作選?) (創元SF文庫)

 

 

 

7月も後半になり、週刊競馬ブックに、上半期フリーハンデがそろそろ掲載される頃だな、来週はまだのようだが再来週なのか、などと思っていたところに、そのフリーハンデの主宰者である山野浩一氏の訃報に接しました。77歳でした。

氏の肩書としては、競馬評論家、SF作家、評論家ということになると思いますが、競馬のことでも、SFのことでもこの方の書いたものにはかなり影響を受けました。

 

競馬では血統辞典と競馬ブックに毎年掲載されたフリーハンデJRAのレーシングプログラムに連載されていてた「栄光の名馬」などの名馬物語。ジャパンカップの外国馬紹介というのも海外競馬の情報が乏しい時代にはありがたいものでした。

また馬主としても知られており、特にステイゴールドはその評価も面白いもので、2着が多かったのは一生懸命走って足りないまじめな努力家などではなく、フィジカルな面では凄いがちゃんと走らないというのがその実態だ、と看破しておられました。もちろんこの要素は産駒のオルフェーブルに受け継がれるわけです。

 

SFでは「X電車で行こう」「鳥はいまどこを飛ぶか」などの小説の他、「日本SFの原点と指向」などの評論もありますが、氏が真に偉大だったのはNW-SFを創刊したり、サンリオSF文庫の創刊にかかわるなどのオルガナイザー的な活動だったのではないかと思います。

NW-SF創刊号には、バラードの「内宇宙への道はどれか」という評論が掲載されましたが、この評論が日本のSF界に与えた影響は大きなものでした。

またこの雑誌から、川上弘美が出たというのも大きな功績でした。

 このNW-SFは1970年創刊、1982年の18号が最終号のようです。

小説はかなり全共闘の影があり、今となってはかなり古めかしいものとなっていましたが、評論やサンリオSF文庫のラインナップは未だに古びていないと思います。

近年、サンリオSF文庫創刊当時の事情について大森望氏のインタビューに答えられていましたが(「サンリオSF文庫総解説所収」)、よくぞ残してくれたという感謝の思いで一杯です。

 

また死の直前までブログを書き残していたことも驚きですが、その死を知った多くの方から、その死を悼む声が多く寄せられていることはその人柄ゆえでしょう。

 謹んで追悼の意を示したいと思います。