弁護士大久保康弘のブログ

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Prog Harvest Festival

9月16日、西中島南方のライブバーでProg Harvest Festivalが開催されました。

4組のアーティストの競演でした。

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 トップバッターはレザニモヲ。

京都を中心に活動するピアノとマリンバのさあやさんとドラムの963さんの2人組。

 

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さあやさんはキーボードだけでなくマリンバとドラムも叩きます。

 

続いてはR1SAさん。ソロで。

  

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打ち込みをバックにパーカッシブなピアノとシンセが独自の世界を作り上げています。

 

 

 続くフェイターンさんは、今日はマコ・フェイでさらにバンドというレアな編成。

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テルミンをあやつりゆらゆらと動くフェイターンさんはまるで出雲阿国かアメノウズメノミコトか、といった風情。

 

トリはネゴアコースティカ。

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これぞプログレという曲をアコースティックな編成で。チェロの響きが素晴らしい。 

 

素晴らしいライブをありがとうございました。

 

隠れ社寺訪問記(14)大阪市西区 和光寺 東淀川区 専念寺

今回は大阪市内の2か寺です。いずれも「大阪の歴史再発見 大阪市内の非公開文化財特別公開」のシリーズで訪れたものです。

まずは北堀江の和光寺。この名前ではあまり耳なじみがないのですが、別名の「あみだ池」は「あみだ池筋」という道の名前になっていることもあり聞かれたことがあると思います。

地下鉄西長堀駅から近いところにあります。

8月7日に訪問しました。 

 

 

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ここでは善光寺阿弥陀三尊像などが公開されます。

 

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その善光寺阿弥陀三尊です。 

善光寺式の阿弥陀三尊は、ひとつの光背に阿弥陀如来観音菩薩勢至菩薩の三尊がいらっしゃいます。長野の善光寺秘仏なので同じかどうかよくわかりませんが、甲斐善光寺のものとは同じ様式です(大きさはちがいますが)。

  

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珍しい寝釈迦もありました。

 

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地蔵さんが何体か、本堂外に祀られています。

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釈迦涅槃図と誕生図。

 

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そしてあみだ池。

 

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続いては東淀川区の専念寺。9月3日に訪問しました。

阪急京都線上新庄で下車し、商店街を歩いて突き当りにあります。

しかし前述のあみだ池とは違い、ここはこういう催しがなければ訪れることもなかったでしょう。

  

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このように突き当たりに門があります。

 

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境内の半分は幼稚園です。

 

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本堂は鉄筋コンクリートです。

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隣のお堂に大日如来がいらっしゃいます。

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右に十一面観音がいらっしゃいました。がっしりとした体型で男性的な十一面観音でした。

 

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前の方に小さい仏像が何体かいらしゃいました。

この誕生仏は生まれたばかりではなくかなりしっかりと肉が付いています。

  

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 また小さな厨子に入ったカラス天狗もいました。不動明王のような光背があり、なかなか面白い顔つきをしています。

 

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 この文化財公開、次回は9月28日から10月3日まで、辰野平野町ギャラリーで融通念仏宗の秘宝が展示されます。

台風21号とその余波

火曜日、台風21号が関西を直撃しました。当日の朝はよく晴れており、昼頃に四国に上陸ということで近鉄も運転終了予定となっていなかったので、午前中仕事をして昼頃事務所をでれば、と思い事務所に行き、テーブルの上に溜まった書類など整理していました。もちろん折に触れて近鉄の運行情報はチェックしていたのですが、10時35分頃に見てみると、何と11時で運行終了との情報が。

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げ、あと25分しかない。慌てて事務所を出ました。地下鉄に乗りなんばに着いたら55分。走って大阪難波に行くと57分発最終に間に合いましたが途中の東花園止まりでした。

東花園は、駅前に広いロータリーもあり、最終電車がこの駅に着くとタクシーに乗る人も多いので、しばらく待てばタクシーに乗れるかと思ったら全然ない。個人タクシーが1台行ったり来たりという状態。学園前まで行く人が4人いたので相乗りしました。タクシーの運転手さんが元大工ということでTOKIOの山口君はいい大工になると思ったのにもったいない、とか話が盛り上がって楽しく帰れました。

 

翌日は台風一過、でも今回は勢力が超強い台風でしたので被害が大きく、あちこちで木が裂けていたりしました。それより今日は午後1時から和泉市役所で法律相談なので阪和線和泉府中まで行かなければならない。阪和線の運行情報をチェックすると、始発からの運転再開はできず、9時ころに再開という情報が出たので、それなら行けるかと思ったものの、飛来物が架線にからまったということで運転は鳳までとなり、天王寺に12時過ぎに着いたものの発車できず。 そのうちに日根野からの快速が超満員で到着しました。 これの折り返しに乗ればと思ったが発車せず、3本後に到着した電車が日根野行の先発となるとのことであわてて乗り換え。

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 結局発車したのは12時40分頃。和泉市役所には何とか13時20分に着きました。

 今週は事務所にいられたのが月曜3時間、火曜1時間、水曜2時間と数えるほどで、仕事した実感がないままに週の後半になってしまいました。

 

 

隠れ社寺訪問記(13) 長岳寺

隠れ社寺訪問記13回。8月13日に奈良県天理市の長岳寺を訪ねました。

当日は奈良県の免許センターにて所用があったのでそのついでに訪問しました。

高野山真言宗の寺院です。

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山門をくぐると下の写真のような道を進んでいきますが、昔はこの道の両側に塔頭があったのだろうと思われます。今は草が生い茂るばかり。

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そして楼門を潜ります。

 

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 入ると受付があり、まずは手前の地蔵院から拝観してくださいということでした。この地蔵院はかって多くあった塔頭のうち唯一残った建物ということで、

  が祀られています。建物と仏像はともに重文です。

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庭園です。

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奥に進んで本堂。阿弥陀三尊と増長天多聞天が祀られています。

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一番奥に大石棺仏があります。これは日本武尊の皇子の棺を利用して弥勒菩薩の石仏にしたというものです。

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放生池をめぐるように四国八十八か所があります。池の向こう側から本堂を望みます。

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さてこの長岳寺には五智堂という重要文化財の建物があります。この建物は境内からかなり離れた場所(国道169号線のかなり手前)にあります。これは少し前に長岳寺を訪問しようとして行けなかったときにたまたま通りがかった際に見つけたものですが、グーグルマップにも出ていません。鉄道で柳本駅から行かれる方はぜひ立ち寄って下さい。下のマップのマークのところです。

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 なお当日は近くの黒塚古墳と鍵・唐子遺跡公園も訪問しました。写真を挙げておきます。

 

 

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 鍵・唐古遺跡公園は焼けつくような暑さでした。

 

 

「歴史修正主義とサブカルチャー」を読んで「若者の保守化」を考える

 

歴史修正主義とサブカルチャー (青弓社ライブラリー)

歴史修正主義とサブカルチャー (青弓社ライブラリー)

 

この本は、歴史修正主義についての研究ですが、それは誤った考え方だ、とかいうものではなく、どのような場で語られたものか、に焦点を当てて書かれたものです。

以下に本書の章立てを書いておきます。

序章 なぜ「メディア」を問うのか

第1章 歴史修正主義を取り巻く政治とメディア体制-アマチュアリズムとメディア市場

第2章 「歴史」を「ディベート」する-教育学と自己啓発メディア

第3章 「保守論壇」の変容と読者の教育-顕在化する論壇への参加者

第4章 「慰安婦」問題とマンガ

第5章 メディア間対立を作る形式-<性奴隷>と新聞言説をめぐって

終章 コンバージェンス文化の萌芽と現代-アマチュアリズムの行方

以上です。

 

なぜ近年、「歴史修正主義」なるものが言説として力を持つようになったか。これについて考えるにはその内容だけでなくどの場所で語られたか、メディアの問題を通して考察すべきだという主張です。

 

これはよい着眼点で、従来の雑誌や新聞中心の論壇から言説の場が変わったことから、このような言説が力を持つことになったことがよく分ります。

なおネットでの言論が力を持つようになったことについては、第1章の中の「インターネットとサブカルチャー」において産経新聞がアプリを無料化したことが取り上げられているものの、ただ第2章以降では論壇誌やマンガ(ゴーマニズム宣言)など紙媒体に限定されているのが残念です。

 

さてこの本にはあまり明確に書かれてはいないのですが、この本を読むことでひとつ納得できたことがあります。それは、最近の若者は保守化した、といわれる点についてです。

 

新聞などの旧論壇では、よく「若者が保守化した」と言われるのですが、その保守化の内容は、日本の歴史を無理に粉飾し美化するということや、若者が野党を支持しなくなったということでしょう。後者は理由のあることで、野党を政策面で積極的に支持する理由はないと私も思い、若い世代が指示しないのも当然だと思うのですが、それはさておき、前者のような思想に染まる者が多くなったという点について否定できないとすれば、そのような思想が現在では「体制に対する異議申立」に他ならないからではないでしょうか。

 

つまり昔も今も、若者は体制に対する異議申し立てをするというポジションそのものは変わらず、ただ異議申し立てのターゲットである体制が、国家権力から旧来のマスメディアに変わったということだと思います。

この本においても、「おそらく、これは彼らが「体制」だと思うものへの「対抗の文化」なのだ」と書いてあるとおりです。

 

前記の目次の中にアマチュアリズム、ディベート、マンガといった言葉がありますが、これらのキーワードは本来イデオロギーとは関係ないはずのものなのに、「歴史修正主義」のものとなってしまっているのが現状だとすれば、それはそれらが対抗文化だからでしょう。かって若者が革新的思想に走ったのは、「既成の権威と戦う俺かっけー」というところがあり、のが原因であり、現在、歴史修正主義を主張する人は「既成の権威と戦う俺かっけー」と考えているのではないかと思います。

 

この「俺かっけー」という要素は、この本にも出てくる自己啓発書との親近性を感じさせます。自己啓発書に見られるような承認欲求を充たす場が歴史修正主義を主張する新しい論壇にあったということです。その意味で、この本が、稲田朋美氏を「ハガキ職人」としたのは言いえて妙です。

 

もちろん承認欲求が満たされるためには、論争にある程度勝ったと思わせる満足感がなければなりません。そう考えると歴史という分野は、アマチュアがいきなり挑戦してプロに勝つことができる(ように思える)分野であることも大きいのではないでしょうか。自然科学ではこうはいかない(とは言え無謀にも挑戦する方もいるようですが)。

 

ただ私としては、保守というとこのような歴史修正主義が幅を利かすす現状はいかがなものかと思います。歴史修正主義ではない、堂々たる保守思想の影が最近薄くなっているのではないかが気になります。この本にも出てきますが、保守の論客として唯一歴史修正主義的発言をしなかった福田和也が、最近は存在感が薄くなったことはその象徴といえるかもしれません。

 

 

 

松田聖子「SEIKO MEMORIES」と「大村雅朗の軌跡」

先日久し振りに日本橋上新電機ディスクピアに行き、松田聖子の「SEIKO MEMORIES」を入手しました。

 

 

このコンピレーションは、松田聖子の曲のうち大村雅朗のアレンジした曲を集めたものです。CD3枚組で、大村雅朗がそれだけ多くの松田聖子の曲をアレンジしたということが分かります。

 

大村雅朗は、既に97年に故人となっていますが、没後20年となった1997年に次の書籍が出ています。

 

作編曲家 大村雅朗の軌跡 1951-1997

作編曲家 大村雅朗の軌跡 1951-1997

 

 

ということで、「SEIKO MEMORIES」を聴くためこの「大村雅朗の軌跡」を調達してきて、聞きながら読みました。

これを読むと、松田聖子大村雅朗と組んだ時期が、いかに日本の歌謡曲にとって素晴らしい時期だったかということがよく分ります。

大村雅朗松田聖子の曲をアレンジしたのは、セカンドシングルの「青い珊瑚礁」からで(デビューシングルの「裸足の季節」は小田裕一郎のアレンジ)、まだそこにはデジタルビートはないのですが、初期の松田聖子の一方の大きな特徴である伸びやかな歌い方による開放感はよく出ています。

 

そして大村のアレンジが一つの革命を起こしたのは、82年に発売された5枚目のアルバム「Pineapple」だと思います。

 

Pineapple

Pineapple

 

このアルバムの冒頭を飾る「P・R・E・S・E・N・T」こそが新しい時代の幕開けでした。シンセ中心のアレンジ、そこで広がる南の海をイメージさせる開放感。これが85年の 「The 9th Wave」まで続くデジタルビート路線の幕開けでした。


松田聖子 P・R・E・S・E・N・T

 

 

 このデジタルビート路線での名曲には「マイアミ午前5時」「天使のウィンク」「夏のジュエリー」などがありますが、同時代のニュー・オーダーなどと比べても遜色がないと思います。 

 

また渡辺美里のこのアルバムも大村雅朗の仕事で印象に残るものです。 

Lovin' you -30th Anniversary Edition-

Lovin' you -30th Anniversary Edition-

 

 このアルバムからカットされた「マイ・レボリューション」は小室哲哉が作曲した最初のナンバーワンヒットで、この曲がその後の小室哲哉の活動に引き継がれていくことになります。


渡辺美里 My Revolution

 

早逝が惜しまれる大村の活動を振り返ることができて感慨深い一冊とCDでした。