弁護士大久保康弘のブログ

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映画「ハンナ・アーレント」を観て

お盆休みは、風邪で熱が出ていたため、あまり動けなかったのですが、イマジカBSで映画「ハンナ・アーレント」がオンエアされたので録画して観ました。 

 

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2013年に日本公開されたこの映画は、アーレントの全生涯を描いたものではなく、「イェルサレムのアイヒマン」という著作の執筆の時期に焦点を当てたものです。

1960年、ナチスの高官でユダヤ人の強制収容所への移送を担当していたアイヒマンが逮捕され、裁判がイスラエルで開かれることになりました。そしてアーレントは、「ニューヨーカー」の特派員として裁判を傍聴し、同紙に裁判のレポートを1963年2月から3月にかけて掲載しました。これが後に「イェルサレムのアイヒマン」という著作となります。裁判を傍聴したアーレントは、アイヒマンが怪物的な悪の権化ではなく、紋切り型の官僚用語を繰り返す、単なる官僚であると結論付けます。そしてアイヒマンがこのような官僚的な答弁しかできないのは、「誰か他の人の立場に立って考える能力」の欠如ゆえであると考え、それを「悪の陳腐さ」という言葉で表したのです。

 しかしこのレポートは、ユダヤ人から激しい非難を浴びてしまいます。アーレントにとっては、アイヒマンがどんな人間であったのかという問題とは別に、ナチズムの悪を、ユダヤ人の枠で見るのか、それを超えた人類という枠で見るのかという問題があったのですが、ユダヤ人には「なぜ君はユダヤ人なのにそのような見方をするのか」と非難されるのです。特定の立場を前提とする者が、アーレントの全人類的な、スケールの大きい考え方を理解するのは困難だったのでしょうか。アーレントは、大学の教授会から辞職勧告を受け、孤立しますが、辞職を拒否し、学生たちに自ら信じるところを述べます。この、映画のラストの8分間に及ぶスピーチの迫力は素晴らしいものがあります。


映画としての感想というより、「イェルサレムのアイヒマン」の感想になってしまいましたが、映画としては、ハイデガーと森の中を散策するシーンが印象に残りました。

ところで、この項を書くため映画評を検索していたら「現代ビジネス」の「賢者の智恵」というコラム2013年12月9日付けの記事「映画『ハンナ・アーレント』どこがどう面白いのか 中高年が殺到!」という記事

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37699

がヒットしましたが、そのコラムの中に、あの鳥越俊太郎氏によるコメントがありました。

以下は引用です。

「この映画の人気の秘密は、アイヒマンはどこにでもいるからではないか」と語るのは、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏だ。「自分の考えとは違うけど、組織の中では『できません』と言えないことがたくさんある。組織の論理に従っているのです。この時代に限った話ではない。日本の戦争だってそうやって行われていますし、いま国会を通ろうとしている秘密保護法案だってそうでしょう。安倍政権の論理からすれば、これを通すのがいいとされる。あなたはアイヒマンではないですか、とこの映画は問いかけているのです」

(引用終わり)

うーむ。組織の論理というのであれば、安倍政権がというより、先日の都知事選で組織の論理に従って、他の立候補予定者を立候補断念させたのはどこの誰なんだといいたくなります。たしかにアイヒマンはどこにでもいますね。

 

 

okubolaw 1日前