私が音楽を主体的に聴くようになったのは、小学校5年生の冬でした。
ある日風邪をひいてしまい、学校を休んで昼間からずっと家で寝る羽目になってしまったのですが(確か小学校を休んだのはこの1日だけだったと思う)、親が退屈だろうからと、枕元にラジオを置いてくれました。
午後、寝ながらずっとラジオを聴いていたら、いろんな音楽が流れてきて、音楽を聴くことに興味がわいてきました。
それまでは意識して音楽を聴いたことはなかったのですが、この日を境に、自分からいろんな曲を積極的に聴くようになりました。
その時は音楽といっても歌謡曲を聞いていたのですが、そのうち外国の曲、ロックを聴くようになりました。
当時はグラムロックが大流行しており、Tレックスやデヴィッド・ボウイなどがラジオでよく流れてきました。特に「スターマン」には夢中になったものです。
そんな頃、ある日立ち寄った書店で、「ロッキング・オン」という薄い雑誌を見つけたのです。確か9号だったと思います。
そこに載っている記事は、ボウイと書いていながらも音楽の話なのか何の話なのか分からないものとか、架空インタビューなど、他では見られないものであり、最初はよく分からなかったのですが、読むうちに中毒になっていました。
またこの頃オンエアされていた、NHKの「若いこだま」という渋谷陽一の番組を聴くようにもなりました。確か新聞のラジオ欄に「デヴィッド・ボウイ」特集と書いてあったので聴いてみようと思ったことがきっかけでした。
そんな時代を思い出させてれたのがこの本です。
渋谷陽一を中心に、この本の筆者である橘川幸夫、そして松村雄策と岩谷宏。この4人が集まってロッキング・オンを作り上げていく。全くのインディとして始めた雑誌が信じられないほどの成功を収めるその奇跡の、ごくごく初期が描かれています。
なお保田與重郎の名前が出てきた(73頁)ことにも驚きました。
ところで、「ロキノン系」という言葉があります。
一般的にはロッキング・オンが主催するフェスに出演したバンドを指すようですが、評論とか文体についても使われるようで、「自分語り」を前面に押し出し、肝心の音楽については最後になってようやく出てくるような、そんな評論をいうのでしょうか。ロッキング・オンの中でも、橘川幸夫、松村雄策などの原稿は、まさに自分語りの「ロキノン系」というものです。
この「ロッキング・オンの時代」と前後して又吉直樹の本に関するエッセイ集を読んだのですが、これがまさに「ロキノン系」というべき自分語り文体で、その偶然の一致に驚きました。
この又吉のエッセイ集、1冊の本についてのエッセイを集めたもので、対象は小説ですが、まさに自分語りで、小説の紹介は最後の3行くらい。
例えば「万延元年のフットボール」では、自分の祖父がどんな人だったかを冒頭からずっと書いてきて、最後から3行目にようやく「万延元年のフットボールを読んだ」と小説の話になる。また、「夜は短し歩けよ乙女」では、かって又吉が知っていた不思議な女の子の話が続き、最後から3行目に「夜は短し歩けよ乙女」でも不思議な女の子が登場する、と小説の話になる。
見事なロキノン系文体です。
又吉は太宰が好きと公言しているくらいですから、自分語りも当然ですが、その自分語りはものすごくうまい。「火花」よりかなり前に書かれたものですが、その自分語りがちゃんと小説と関連していて、みごとな紹介になっています。
今や渋谷陽一は日本有数のロックフェスを大成功させる会社の社長となり、又吉は芥川賞作家となりました。