弁護士大久保康弘のブログ

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隠れ社寺訪問記(8)世尊寺+高取城

久しぶりのこのシリーズ。第8回は、奈良県大淀町にある世尊寺です。

仏像を見るのが好きなので、みうらじゅんいとうせいこうの見仏記シリーズは愛読していますが、シリーズ最新刊の「メディアミックス編」に世尊寺が取り上げられているのを知り、ちょうど天気もよかったので、3月17日に急遽訪問することにしました。

ついでに近くにある、壷阪寺の奥の山城である高取城に寄ることにしました。

グーグルマップで調べると推奨ルートはなぜか169号の芦原トンネルを通りすぎ、峠の南側から行くようになっていたのですが、無視して壷阪寺から行きました。実はこれが正解で、帰りにこのルートを通って世尊寺に行こうとしたのですが通行止めになっていました。 

かなり上まで車道があり、歩道に入るところにある案内板です。

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山道を10分くらい上ると本丸跡に着きました。

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本丸跡からの眺めです。標高は583メートルで、見晴らしは素晴らしい。

 

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さて見晴らしを堪能して、再び壷阪寺まで下り、169号線に出て前述した芦原トンネルを抜け、世尊寺までは15分くらいです。吉野へ抜けるバイパスとして整備されたのか、高規格な道路になっていました。

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山門です。 

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この世尊寺は、今でこそメインルートから外れた場所にあるため、隠れ社寺というにふさわしいたたずまいですが、もともとは比蘇寺や現光寺という大きな寺で、同寺に残っている瓦や伽藍配置(東塔跡と西塔跡がある)などから創建は飛鳥時代に遡るとされており、聖徳太子が建立したという伝説があります。現在の世尊寺は江戸時代に荒廃していた寺を再興したものということです。 

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このように塔の礎石が残っています。東塔の三重の塔は、1594年(文禄3年)豊臣秀吉によって伏見城に移され、さらに1601年(慶長6年)に徳川家康によって近江の園城寺三井寺)に移建され、現在も残っています。なお、西塔は戦乱により焼失したとのことです。

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さきほど出てきた現光寺という寺院名ですが、本尊の阿弥陀如来座像と木造十一面観世音菩薩立像が光を放っていたことに由来しています。これは日本書紀にも記載されているとのことです。 

阿弥陀如来。確かに飛鳥風ですね。 

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 下は十一面観音です。

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この寺には松尾芭蕉が訪れたこともあり、「世にさかる 花にも念佛 まうしけり」の句を残しており、句碑があります。

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メインルートからはずれているとはいえ、山の中にあるわけでもないのに、なぜか隠れた印象があるこの世尊寺、隠れ社寺の名にふさわしいお寺でした。