弁護士大久保康弘のブログ

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「歴史修正主義とサブカルチャー」を読んで「若者の保守化」を考える

 

歴史修正主義とサブカルチャー (青弓社ライブラリー)

歴史修正主義とサブカルチャー (青弓社ライブラリー)

 

この本は、歴史修正主義についての研究ですが、それは誤った考え方だ、とかいうものではなく、どのような場で語られたものか、に焦点を当てて書かれたものです。

以下に本書の章立てを書いておきます。

序章 なぜ「メディア」を問うのか

第1章 歴史修正主義を取り巻く政治とメディア体制-アマチュアリズムとメディア市場

第2章 「歴史」を「ディベート」する-教育学と自己啓発メディア

第3章 「保守論壇」の変容と読者の教育-顕在化する論壇への参加者

第4章 「慰安婦」問題とマンガ

第5章 メディア間対立を作る形式-<性奴隷>と新聞言説をめぐって

終章 コンバージェンス文化の萌芽と現代-アマチュアリズムの行方

以上です。

 

なぜ近年、「歴史修正主義」なるものが言説として力を持つようになったか。これについて考えるにはその内容だけでなくどの場所で語られたか、メディアの問題を通して考察すべきだという主張です。

 

これはよい着眼点で、従来の雑誌や新聞中心の論壇から言説の場が変わったことから、このような言説が力を持つことになったことがよく分ります。

なおネットでの言論が力を持つようになったことについては、第1章の中の「インターネットとサブカルチャー」において産経新聞がアプリを無料化したことが取り上げられているものの、ただ第2章以降では論壇誌やマンガ(ゴーマニズム宣言)など紙媒体に限定されているのが残念です。

 

さてこの本にはあまり明確に書かれてはいないのですが、この本を読むことでひとつ納得できたことがあります。それは、最近の若者は保守化した、といわれる点についてです。

 

新聞などの旧論壇では、よく「若者が保守化した」と言われるのですが、その保守化の内容は、日本の歴史を無理に粉飾し美化するということや、若者が野党を支持しなくなったということでしょう。後者は理由のあることで、野党を政策面で積極的に支持する理由はないと私も思い、若い世代が指示しないのも当然だと思うのですが、それはさておき、前者のような思想に染まる者が多くなったという点について否定できないとすれば、そのような思想が現在では「体制に対する異議申立」に他ならないからではないでしょうか。

 

つまり昔も今も、若者は体制に対する異議申し立てをするというポジションそのものは変わらず、ただ異議申し立てのターゲットである体制が、国家権力から旧来のマスメディアに変わったということだと思います。

この本においても、「おそらく、これは彼らが「体制」だと思うものへの「対抗の文化」なのだ」と書いてあるとおりです。

 

前記の目次の中にアマチュアリズム、ディベート、マンガといった言葉がありますが、これらのキーワードは本来イデオロギーとは関係ないはずのものなのに、「歴史修正主義」のものとなってしまっているのが現状だとすれば、それはそれらが対抗文化だからでしょう。かって若者が革新的思想に走ったのは、「既成の権威と戦う俺かっけー」というところがあり、のが原因であり、現在、歴史修正主義を主張する人は「既成の権威と戦う俺かっけー」と考えているのではないかと思います。

 

この「俺かっけー」という要素は、この本にも出てくる自己啓発書との親近性を感じさせます。自己啓発書に見られるような承認欲求を充たす場が歴史修正主義を主張する新しい論壇にあったということです。その意味で、この本が、稲田朋美氏を「ハガキ職人」としたのは言いえて妙です。

 

もちろん承認欲求が満たされるためには、論争にある程度勝ったと思わせる満足感がなければなりません。そう考えると歴史という分野は、アマチュアがいきなり挑戦してプロに勝つことができる(ように思える)分野であることも大きいのではないでしょうか。自然科学ではこうはいかない(とは言え無謀にも挑戦する方もいるようですが)。

 

ただ私としては、保守というとこのような歴史修正主義が幅を利かすす現状はいかがなものかと思います。歴史修正主義ではない、堂々たる保守思想の影が最近薄くなっているのではないかが気になります。この本にも出てきますが、保守の論客として唯一歴史修正主義的発言をしなかった福田和也が、最近は存在感が薄くなったことはその象徴といえるかもしれません。