弁護士大久保康弘のブログ

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読書記録 応仁の乱、観応の擾乱、承久の乱

 最近の中公新書の日本史関係のラインナップは大変充実しています。特に中世の3つの乱、応仁の乱観応の擾乱承久の乱を論じた3冊はよく売れているようです。応仁の乱観応の擾乱は以前読んでおり、今回、承久の乱を読み、この3冊を読みましたので3冊通じての感想を書いてみたいと思います。

 まずは応仁の乱から。

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

  この応仁の乱、長々と続いて都を荒廃させた大乱の割には分らないことだらけです。そもそも室町幕府と倒幕勢力の戦いではなく、室町幕府はおいておいて東軍と西軍が戦っているのがよく分らない。最終的な戦争目的も分からないので、結局乱が終わってどうなったかというのもよく分らない(むろん幕府の権威が低下し戦国時代が到来したのは知っていますが、もともとそんなことを意図して戦争を始めたわけでもないでしょう)。この点、関ヶ原の戦いなどは、家康を天下人と認めるか反対するかという争いだし、あっという間に決着が着き勝者と敗者が完全に分かれたこともあり分かりやすい。応仁の乱の結果としては「以後戦国時代になった」と言われますが、そもそもそれを目的として戦ったわけではないでしょう。このように分からないことこの上ない応仁の乱を、この書物がよく分かるようにしてくれたかというと、解像度が上がりはしたものの、結局よく分からなかったのでした。

 

次はもっとよく分らない観応の擾乱

 

  

 室町幕府の初期、足利尊氏が将軍となって、当初は弟である直義との2頭政治で結構上手く行っていたのに、いつの間にか対立してしまい、最終的には直義が敗北して支配体制が確立する。この2人は軍事面と行政面で役割分担をしており、(今回それがよく理解できました)だとするとなぜ対立するようになったかがよく分からない。一時、直義が制圧したのになぜかその後急に敗色が濃くなったというのもよく分からないところです。

  

承久の乱-真の「武者の世」を告げる大乱 (中公新書)

承久の乱-真の「武者の世」を告げる大乱 (中公新書)

 

 3冊目は承久の乱後鳥羽院鎌倉幕府が戦い、ただし後鳥羽院は倒幕を目指したのではなく北条義時個人を追討する目的であったというのはこの本でよく分かりました。

 また後鳥羽院が敗北して、鎌倉幕府の勢力が確立したのはよく分かりますが、ただ戦後処置として、治天の君である後鳥羽上皇を遠島にする、法的根拠が分からない。まあ戦いに敗れたので勝った側は責任追求ができるのでしょうが、部下はともかく、最高権力者である後鳥羽上皇に責任を取らせる政治的正統性があるのか。これが分からない。

また後鳥羽院ですが、この謚号は亡くなってからかなり後に送られたもので、その前は隠岐院と呼ばれていたとのこと。院政を始めた頃は何て呼ばれていたのか疑問に思ったのですが分かりませんでした。

 

 今この3冊を並べるとサブタイトルが並びますが、サブタイトルを見ても後の2つに比べて応仁の乱の分からなさが際だちます。

 

 ところで、日経新聞の土曜日の読書欄の前の頁に連載されている本郷和人教授の「日本史ひと模様」はいつも愛読していますが、ちょうど2月16日付け紙面に、この3冊に関連することが書かれています。

 前出の「承久の乱」を本屋さんで探したら、本郷さんの「承久の乱」があって「あれ、この著者は確か違う方だったが」と思ったことがありました。つまり本郷さんも承久の乱の本をほぼ同時期に出されたわけですが、そのこともあってこのコラムを書かれたのでしょう。

 そのコラムには、歴史学の本が売れる(あるいは学会で評価される)にはサステナビリティーが必要であり、ああでもない、こうでもないと書かねばならず、「何が原因でどうなった」とすぐに結論を出してはダメで、結論を保留する方がよいということが分かったと書いてあります。

 まあ、それはそうだとしても、「何が原因でどうなった」は陰謀史観になりやすく、その陰謀史観の本は結構売れていることからすると、学会での評価はともかく、坂井教授の中公新書と本郷教授の新書のどちらが売れるかをそこに求めるべきではないんじゃないかな。アマゾンレビューで本郷教授の本には「坂井本にはない罵詈雑言の類いがみられる」と書かれていますが、まあ罵詈雑言を書くような人には坂井教授の本は読めないでしょうからそこは仕方ないのでは。

 

 呉座教授の本を読んでも、結局応仁の乱の原因と結果はよく分からなかったのですが、それは仕方ないことだったのですね、と自己正当化して本項を終わります。