弁護士大久保康弘のブログ

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又兵衛桜と宇陀水分神社

4月7日の日曜日、好天に恵まれたことから宇陀水分神社又兵衛桜を見に出かけました。

 

家から宇陀市までは車で1時間半くらいですが、案の定、途中から渋滞していました。ただ、これは近道を通ったためもあり、宇陀市の中心から行った方が良かったようです。

駐車場待ちの渋滞から見た又兵衛桜がこちら。

 

結局、駐車場に車を止められたのは午後1時を回っていました。

駐車場から又兵衛桜まで行く途中にもいろいろな桜が。ソメイヨシノ一色より美しく桃源郷のようでした。

さて又兵衛桜。相続よりはるかに大きかったです。

遠くから見て、人間と一緒に撮影するとその大きさが分かります。

近づいて見ました。

 

さて又兵衛桜から車で20分くらいで、宇太水分神社に着きます。

 

このあたりは菟田野という地名です。

国宝の本殿。

本来はこちらが国宝だと最近知ったことから、訪問しようと思ったのですが、又兵衛桜が近くにあることから、又兵衛桜満開の時に一緒に訪れようと思ったことから今日の訪問となりました。

この日はこれから橿原考古学研究所附属に行く予定でしたが道を間違えて大変な目にあいました。

蛇行剣については項を改めます。

 

 

 

あべのハルカス 円空展

 

あべのハルカス美術館で、円空展が開催されていたので、4月4日に観に行きました。

入ったところの大きな金剛力士像は写真撮影可。

笑っているのか、怖いのか。

 

「呪術廻戦」で人気の千光寺両面宿儺像。

 

両面というより、隣り合わせに顔があります。

 

これは千光寺の観音三十三応現身立像。観音さまオールスターという感じですね。

 

これは護法神立像。護法神とは何か調べてみたら、仏と仏教徒を守る「天」部のいろいろな仏を護法神というそうで、梵天帝釈天、四天王などの具体的な名前がついていない護法神というのが気になります。

 

撮影できなかった、初期の普通っぽい仏像も面白かったです。

 

 

 

大和文華館 三春滝桜、文字を愛でる

和文華館の三春滝桜が満開になったというので見に行きました。

昨年は世界選手権を見に行くなど忙しく、2年振りに見ることができました。

展覧会は「文字を愛でる」でした。

国宝の一字蓮台法華経を見ることができました。

 

下の、大方広仏華厳経も見事でした。

 

堺市内散策と南宗寺

3月16日の土曜日は暖かく春らしい天気でした。

午前中に少年鑑別所に行く用事があり、その後、3時に同じ堺市内で会合があり、それまで3時間以上時間があったので、堺市内で寄り道をすることにし、まずは南宗寺に行くことにしました。

少年鑑別所から阪堺電車の綾之町電停まで歩きます。

商店街を線路が横切っています。

綾之町から阪堺電車に乗り、御陵前で下車。ここから南宗寺に向かいます。

 

ここは塀に囲われた中に、いくつかの寺院があるという、京都の大徳寺妙心寺などのような感じです。

途中に「甘露門」という山門があります。1647年建立の重文です。

 

さらに奥まで進み、ようやく南宗寺に着きました。

下の写真は戦災で焼けなかった重文の仏殿です。1652年建立。

拝観はガイドさんに案内され、徳川家康の墓や千利休の供養塔などを見て、枯山水の庭園をみましたが残念ながら撮影禁止でした。

 

 

 

さて南宗寺から歩いて10分くらいの場所に、「くるみ餅」で有名なかん袋があります。

くるみ餅を買うのは久しぶりです。昼食がまだなので持ち帰りにしました。

 

さてお昼を食べる時間ですが、めざまし占いで塩ラーメンを食べなければならないことになったので、ネットで堺のラーメン屋を探すと、「れとろや」というラーメン店がかん袋から歩いて10分のところにあることが分かりました。これはそこで食べるしかありません。

 

塩、醤油、鶏白湯とありますが、占いに従い、塩ラーメンをいただきました。

澄んだ黄金色のスープ、見た目も美しいのですが、なかなか美味でした。チャーシュー2種とフォアグラが載っています。

 

食べ終わり、電車通りに出て、少し北に行くと、住吉神社大鳥大社の頓宮(お旅所)がありました。このあたりは「宿院」という地名で宿院という停留所もあるのですが、その地名の由来となった頓宮です。

そこから山之口商店街を通って開口神社に行きました。

さらに北に行き、ザビエル公園に着きました。

ここで一休みして会合の場所に行きます。

 

 

会合が終わって堺駅に出る途中、「セトウツミ」の舞台に行きました。

 

ここに行くのも5年ぶりです。懐かしい思いで堺駅から帰りました。

この日は相当歩いて疲れたと思っていたら、21800歩を超えていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

頼山陽とナポレオン「江戸のナポレオン伝説」

福田和也の「読書脳」を読んでいたら、いろいろな書物を紹介している中で、「ナポレオン言行録」の項があり、その中で江戸時代から日本人がナポレオンを知っていた、という話になって、この本が紹介されていました。

 

 

この本で、日本で一番に近い早さでナポレオンを知って、いち早く漢詩にして世間に広めたのは頼山陽だということを知りました。

頼山陽は、「日本外史」で名高い漢詩人ですが、ナポレオンを紹介した漢詩があることは今まで知りませんでした(私が持っている旧版の「頼山陽詩鈔」にも入ってないし。なお新編の頼山陽詩鈔には収録されています)。

頼山陽が、1818年、長崎に遊びに行ったところ、たまたまナポレオンのロシア戦役に従軍したオランダ人と会うことができ、その人からナポレオンのことを聞いたことがきっかけでナポレオンを知り、「仏郎王歌」という漢詩にして発表したのですが、何という引きの強さだろうと思いました。頼山陽もナポレオンという英雄の存在と、その栄光と悲劇を知り、これは自分が日本に広めないと、という使命感を持って仏郎王歌」を詠んだのだと思います。

 

ところが頼山陽仏郎王歌」について、中村真一郎の「頼山陽とその時代」では、後の大槻磐渓の「仏朗王詞」に比べて評価が低く、「山陽は京都の田舎者に過ぎない」と言われています。

 

しかし大槻磐渓「仏朗王詞」は1841年に作られた(なお「江戸のナポレオン伝説」ではそれより後の可能性が高いことを示唆しています)とされており、ナポレオンが没後20年で遺骸がパリに戻ってから後の成立です。これに対し頼山陽仏郎王歌」は1818年で、まだナポレオン存命中、ロシア戦の1812年から6年後に詠まれたものです。

前田愛は「(「仏朗王詞」)の正確さには、時代の違いからは説明できない何かがある」としていますが、この20年は大きいです。

頼山陽仏郎王歌」の内容は、不正確な点があることはともかくとして、チンギスハーンの遠征と、ナポレオンのロシア遠征を、同じような英雄の行動と捉える浪漫的なもので、まあ大時代的といえばそうでしょうが、とにかくナポレオンという馬上の世界精神(©️ヘーゲル)を日本に知らしめた功績は凄いと思います。のちに吉田松陰が書簡でナポレオンに触れているように、勤王の志士たちにナポレオンに対する関心を高め、倒幕のエネルギーを高めることになったのも、頼山陽の「日本外史」とこの仏郎王歌」あればこそだったのではないでしょうか。そういった意味で仏郎王歌」は、日本の歴史を変えた一編と言えるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CAN ダモ鈴木時代の3作

CANのボーカルであった、ダモ鈴木氏が亡くなりました。

活動している時にリアルタイムでほとんど聴いたことがなく、後追いでしか聴いていませんが、ダモ鈴木時代の3枚のアルバムを改めて聴いてみたいと思います。

鳥の囀りで始まり、ダモのダミ声のボーカルが入ってきます。

マッシュルームはダモの単調な呟きから、いきなりがなりたて、ギターが随伴します。

雷鳴が轟き、雨が降ってきてオーイエーになり、ダモの日本語が響きます。単調なリズムが加速します。

ハルワウはアルバムB面全てを使った大作ですが、前のめりだが単調なリズムに乗り、ダモの唸り声が響きます。ラストはダモの言葉にならない歌で終わります。

C面は何と読むか良く分からないオームン。これも17分ある大作。CDだと続けて聴かないといけないのがちょっとつらい。

D面はペキンオーという、曲の構造をなしていない曲。ダモの唸りが叫びになり、投げつけられる。3分くらいから一応曲らしくなりますが、後半は何を言ってるか分からない喚き。

ラストにブリングミーコーヒーオアティーという、前の曲からしたらまだ曲らしい曲だが無茶なミックスの曲で終わります。

 

このアルバムはファンク風な曲でダモが囁いたり唸ったりするピンチという9分半の曲で始まります。水の流れる音からシングスワンソングが始まりダモのお経のようなボーカルが流れてきます。

続くワンモアナイトは7拍子の単調な曲にダモの気怠い呟きボーカルが乗りそのまま最後まで。

ビタミンCも同じように単調なリズムの曲ですが、ダモは声を張り上げるのが前の曲と違います。よくわからない電子ノイズで続くスープが始まります。ダモは絶叫調でギターとキーボードが流れる液体のように響きます。途中からテンポが変わり加速しますが5分半あたりで加速が止まりカオス状態に。ノイズが支配しダモの何言ってるかわからない呻きが入り、フリーキーに終わる。

アイムソーグリーンは一転普通のエイトビートにダモの捻れた歌が乗りギターも普通のロックに近いフレーズを奏でます。

スプーンはリズムボックスで始まり、ダモの囁きボーカルの後、比較的ちゃんとしたメロディを歌っています。シンセが響き、同じメロディが繰り返され、フェイドアウト

このアルバムは全般にダモのボーカルが大活躍で、囁き、唸り、叫びなど、いろいろな技法が駆使されています。

 

フューチャーデイズは

このアルバムは前作と異なりダモは囁きボーカルばかり。

フューチャーデイズは9分。

ボサノバみたいなリズムで気怠い囁きボーカル。

スプレイも8分あり、静かに始まりシンセが響いてきます。何かが始まる予感がありますが、始まらないまま、そのまま流れていき、ようやく6分過ぎからダモの普通ボーカルが入ってきます。

ムーンシェイクは、エイトビートのリズムにダモの囁きボーカルが乗ります。同じメロディの繰り返し。途中で効果音も入ります。またメロディが繰り返しになりますがされフェイドアウトで終わります。

ラストは19分の大作ベルエア。

冒頭は気怠い幸福感があるパートで、ダモのボーカルはかわいい声を出しています。

4分過ぎにこの気怠いパートから、かなり躍動感があるパートになり、6分40秒くらいからほぼドラムだけになります。

9分過ぎに演奏が消えバックグラウンドの鳥の声だけになります。

再度演奏が入ってくると、ボーカルは同じだが違う演奏になり、ほどなくして、ボーカルは消えます。

14分くらいからは神経質なホルガーシューカイのベースの反復に煽られドラムもヒートアップします。

18分くらいで全ての演奏が消え、30秒くらい沈黙の後、また演奏が入ってきてテーマを反復しますが、しばらく続いた後、静かに演奏をやめて曲が終わります。

 

今回、この3作を集中的に聞いてみると、最初の2作はダモのボーカルが七変化しますが、フューチャーデイズでは囁きばかりになって、またボーカルパートも少なくなり、このアルバム製作中に脱退したのも仕方ないかなという感じでした。

 

最後に、この3作を残してくれたダモ鈴木に感謝します。ご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

隠れ社寺探訪記(31)ならまちの非公開寺院

奈良には観光スポットか多くありますが、中でもあまり知られていないエリアが、「ならまち」エリアです。

近鉄奈良駅から商店街を南に行き、アーケードか尽きると、ならまちエリアになります。

このならまちは古い街並みに多くの寺院がありますが、普段ほとんどの寺院は公開されておらず、どんな寺院があるのか分からない状態でした。

このならまちの寺院を知ることができる企画が始まりました。

題して「ならまち・きたまち路地ぶら」。

1月と2月でそれぞれ8つの寺院が公開されますが、私がこの企画を知ったのが2月に入ってから、電車の中吊り広告でした。そのため、1月公開の寺院は残念ながら拝観できませんでした。

私がならまちを訪問したのは2月24日で、ならまちの興善寺、金躰寺、高林院、徳融寺、誕生寺、称念寺の6つの寺院を回ることができました。

まずは興善寺。常時公開している十輪院の近くにあります。

 

浄土宗の寺院で阿弥陀如来がご本尊です。近年、法然上人の自筆消息が発見されたとのことで、それをみることができました。

 

続いてすぐ近くの金躰寺へ。こちらも浄土宗でご本尊は阿弥陀如来です。

 

そこからは、ならまち格子の家を経由して、高林院、徳融寺、誕生寺という中将姫にゆかりの寺院を巡ります。

まずは高林院。中将姫としその父である藤原豊成を御本尊とする寺です。

 

そして徳融寺へ。ここは今回のハイライトでした。

観音堂で子安観音が拝観できました。子供を手にしている観音像は初めて見ました。

薬師如来

次は誕生寺へ。中将姫が誕生された場所ということです。

 

ここは奥に庭園とお堂があります。

二十五菩薩

 

今回最後に訪問したのは称念寺。もう16時を回っていました。浄土宗知恩院派でご本尊は阿弥陀如来です。

今日の訪問では特に徳融寺、誕生寺が圧巻で、拝観することができて本当に良かったです。

このならまち、きたまちぶらり、来年も開催されることを切に願います。