弁護士大久保康弘のブログ

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「証拠になる」とはどういうことか-「カムイ伝」「アドルフに告ぐ」「大阪夏の陣屏風」

 

 森友学園の件でいろいろ騒がしく、今日は証人喚問がありましたが、先日理事長が自身の主張の裏付けであるとしてマスコミに呈示した振り込み用紙の控え(と思われるもの)ですが、これが証拠になるのか、ならないのかという議論が一部でされているようです。

法律的に「証拠になる」かどうかは証拠能力と証明力を分けて考えるのが第一歩であり、まずは証拠として採用可能かどうかが証拠能力の問題、「それによって何かの裏付けになる」かどうかは証明力の問題、という区別があります。

振り込み用紙の控えは、自分(あるいは自分の事務員?)が書いたものなので、そこに相手方の名前が書いてあっても、相手方からいくらかの金銭を受領したということの「証拠にならない」とする方も多いようですが、正確に言えば、証拠能力はあっても、証明力はかなり低い、というべきでしょうか。

ただ問題は、「証拠にならない」と言っている人のほとんどは、証拠能力の問題ではなく、証明力の問題として、証明力が低いという意味で使っていることで、そうすると証拠能力の問題としている人とは話がかみ合わないことになります。

 さらに重要な問題として、証拠というものはそもそもそれが立証すべき命題によって証明力が高かったり低かったりする相対的なものであるということがあります。

今回の件でも、そもそも「何が立証されるべきものなのか」をあまり厳密に考えなかったため、話がどんどんずれていき、「首相(あるいは夫人)と籠池氏が親密であったこと」が立証されるべきものと考えている方も多数おられるようです。しかしそれを立証して何になるんだと個人的には思います。

 

ところで話は全く変わるのですが、先日、なぜかこんな本が家から出て来たので読んでみました。 

弾左衛門とその時代 (河出文庫)

弾左衛門とその時代 (河出文庫)

 

これは、被差別部落の支配者の話なのですが、先に書いたように森友学園の振込用紙が「証拠」か否か話題になっていたので、なぜか「カムイ伝」の徳川家の秘密を記したとされる「文書」について連想が働いてしまいました。

 

決定版カムイ伝全集 カムイ伝 第二部 全12巻セット

決定版カムイ伝全集 カムイ伝 第二部 全12巻セット

 

 

カムイ伝」では、日置藩というのがあって、なぜか幕府に取りつぶされない。それはこの日置藩が、徳川家の秘密を記した「文書」を持っているからだ、というプロットがあったのですが、昔読んだ時、うーんこんな文書があったとして、それがどうしたのか、というように感じてしまいました。手塚治虫の「アドルフに告ぐ」にもそういう秘密の文書が重要な役割を果たしていたのですが、まあこっちは納得がいきます。

 

アドルフに告ぐ 1
 

 「アドルフに告ぐ」はヒトラーの出自、というのが立証されるべき命題であり、確かにそれが立証されればマスメディアの時代ですからその情報も拡散し、ナチスドイツの総統の地位が危うくなるようなものでした。これに対し「カムイ伝」の文書は、マスメディアもない前近代においてそんな文書を持っていたところで使い道がないだろうし、そもそも徳川氏に限らず、戦国大名の出自など、本当はよく分からなくて、勝手に系図を作ったりしていたのですから、仮にそんな文書があったとしても何とも思わなかったのではないでしょうか。

 

ところでこのカムイ伝の「文書」からさらに連想が働いたのが、大阪夏の陣屏風です。

福岡藩の故実によれば、大阪夏の陣の合戦に参加した黒田長政が命じて作られたものと言われていますが、問題はこの左隻です。

 

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以下はウィキペディアからの引用ですが、

本作品の大きな特徴は左隻全面に、逃げようとする敗残兵や避難民と、略奪・誘拐・首狩りしようとする徳川方の兵士や野盗が描かれていることである。いわゆる乱妨取りで、このような生々しい描写は他の合戦図屏風には見られず、「戦国のゲルニカ」とも評される[2]

 

とされています。

NHKの番組「その時歴史が動いた(2008年6月25日放映)」でも、「戦国のゲルニカ」と評され、「なぜこのような残虐行為が描かれたのか」と松平アナウンサーが疑問を呈され、「自らへの戒めとして」などとおっしゃっていましたが、しかしこの画を作成したのは黒田氏なのです。そんな単純なものであるはずはありません。

 

ちなみに黒田氏は、幕末まで国替もなく福岡藩主を務めています。