弁護士大久保康弘のブログ

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村上春樹と父親

最近、たまたま村上春樹の父に触れた記事を続けて読みました。

一つは、この1998年に出た本。 

イアン・ブルマの日本探訪―村上春樹からヒロシマまで

イアン・ブルマの日本探訪―村上春樹からヒロシマまで

  • 作者: イアンブルマ,Ian Buruma,石井信平
  • 出版社/メーカー: 阪急コミュニケーションズ
  • 発売日: 1998/12
  • メディア: 単行本
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この本では、日本の作家が何人か取り上げられていますが、寺山修司大島渚などと並んで村上春樹が取り上げられています。大磯の別荘での会見記ということです。
 
これが面白い。日本人がインタビューしたのでは全く出てこない情報が満載されています。 
まず文壇に属さないことについて。この文壇は多分日本独自のものでしょうから、著者からは不可思議なものとして扱われており、編集者から文壇に属さないことへの批判があること、などが書かれています。
 
そしてこのインタビューには奥さんも同席していて、奥さんの生の声が聴けることも貴重です。
 
さらに父親のことにも触れています。特に興味深いのが、春樹がお茶を入れに台所へいった際に、奥さんが「春樹は父親のことを絶対に人にしゃべらないのよ」と言っていたこと(92ページ)。
 

 また、たまたまこの本を読んでいた7月11日に、同日付け日経の夕刊コラム「あすへの話題」(筆者は元警視総監池田克彦氏)に「村上先生の思い出」という題で甲陽学院の先生だった村上春樹の父をめぐる記事が書かれていました。そこに書かれていたエピソードが以下のようなもの。

ある講習会の時に、「(挨拶に来られても)私には全く力はありません。現に、私の息子はこの学校の入試に落ちています。こんな私のところに挨拶に来られても何の意味もない」ということを言ったというのですが、何もそんなことを言わなくてもと思います。

 

村上春樹と父親、で思いだしたのは、 「八月の庵 僕の方丈記体験」という「太陽」1981年10月号に掲載されたエッセイです(単行本未収録)。

このエッセイは、滋賀県大津市芭蕉が4ヵ月隠棲していた幻住庵を、父親と訪問したことを書いたものです。

行き帰りに古典について父親に教わったことが書かれています(父親は古典の教師でした)。このエッセイを読む限り、それほど父親のことを嫌っているという印象は受けません。ただ二人とも親子の距離を測り損ねただけではないでしょうか。 

 

このエッセイによれば、父親から木曾義仲の最期について聞かされたとのことですが、義仲、芭蕉といえば保田與重郎です。この幻住庵からほど近くに義仲寺があり、3人の墓があります。はたして父親は保田与重郎のことを春樹に教えたのかが気になります。

 

この幻住庵ですが、2013年3月20日に訪問しました。

 

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 先のエッセイには、細い道を、山を越えて歩いたとありますが、少し高いところにあるものの、車で行けるし山越えという感じでもなかったので、この親子は東海道線石山駅ではなく、京阪の石山寺駅から行ったのではないでしょうか。