弁護士大久保康弘のブログ

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村上春樹「やがて悲しき外国語」

最近、よく読むブログは、デビッド・ライス氏のブログ「道徳的動物日記」です。最近はマイケル・サンデルの「運も実力のうち」についての評が面白かったのですが、村上春樹に関する文章も面白く、少し前のものになりますが、「やがて悲しき外国語」について書かれた「村上春樹 ヒエラルキーの風景」も面白く読めました。

https://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2019/11/21/223913


やがて哀しき外国語 (講談社文庫)

やがて哀しき外国語 (講談社文庫)

そのブログ記事でも引かれていたのですが、村上春樹が外国であった日本人の中には、挨拶代わりに共通一次で何点だったかを言う人がいるという箇所には笑いました。

これで思い出すのは最近のマンガ「こづかい万歳」です。そこには、初対面の人が、挨拶代わりに「申し遅れました。私、こづかい2万円です」というのです。外国に留学したエリートと、薄給のサラリーマンの挨拶が同型であるのが面白いですね。

まあそれはともかく、日本で学歴が重視され、また大学入試の公平性が非常に重視されているのは、それが江戸時代の正統性の淵源であった「家」に変わるものだったからではないでしょうか。

すなわち明治初期に、「門閥制度は親の仇」として、それに変わる人材登用のシステムとして、大学というものを作ったのですが、江戸期と明治期では思考パターンの連続性は強かったので(その連続性については以前このブログで紹介した「江戸の読書会」が参考になります)人々が求める正統性が、門閥から学歴に変わっただけ、と言えるかもしれません。