今年上半期に読んだ本のうち、最も読み応えがあったのがこの「江戸の読書会 会読の思想史」でした。
江戸時代の官学たる儒学、朱子学は、現在から見ればどうしようもなく古いもので、その古さのゆえに、明治期には洋学にとって代わられたように思えます。そしていち早く儒学を捨て洋学に乗り換えたことにより、日本は中国と異なり西洋に対抗することができたようにも思えます。
しかし、洋学を取り入れたことにより全てが変わったわけではなく、江戸時代にあった「会読」という方法、その「江戸の読書会」が学問の近代化の上での一つのベースとなっていた。
そして会読の空間は、身分制から離れた特殊な空間となっていたことも注目すべき点であり、これらが明治期につながるという主張です。
なぜ日本で急速に近代化を進めることができたのか、を考えるについても、必読の文献だと思います。
さて、その「江戸の読書会」にも取り上げられている広瀬淡窓が主宰した咸宜園は大分県日田市にありますが、3年前に、日田の裁判所に出張する予定があった際、出張のお供に、広瀬淡窓を描いた葉室麟の「霖雨」を持っていき現地で読んだことがあります。
新しい代官との確執、大塩平八郎との交流。そして大塩平八郎の乱が起きます。
この咸宜園での教育は、身分を問わず入門でき、その中では席次を争うが、これも身分制を超えた実力主義によるものでした。
ラスト近く、広瀬淡窓は、
「この世に生まれて霖雨が降り続くような苦難にあうのは、ひととして育まれるための雨に恵まれたと思わねばなるまい」とつぶやきます。これが「霖雨」の由来です。
葉室麟は九州を舞台にした小説を多く書いていますが、架空の人物を主人公にした作品も多く、実在の人物を描いた小説の中ではお勧めの一冊です。