先日、「画題でみる禅画入門」を読んでブログに記事をアップしましたが、追記したいことがありました。
司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズは長らく読み継がれてきた作品であり、私も機会があれば読んできました。
昨日、この 「街道をゆく」4巻をたまたま読もうと思って手に取ったら、冒頭の「洛北諸道」の中に「スタスタ坊主」という章があり驚きました。
おお、禅画入門で読んだスタスタ坊主か、と読んでいたら、願人坊主、スタスタ坊主を取り上げていながら、「私もスタスタ坊主を描いた古い絵をみたことがない」と片付けられてしまっていました(文庫版13頁)。
さすがに私は先日「画題でみる禅画入門」を読んだばかりなので、スタスタ坊主の画ならまかせておいてくれというくらいの勢いです。
「街道をゆく」のこの章では、本来山伏のことを書きたかったようで、スタスタ坊主は山伏を引っ張り出すだしに使われたようなところがありますが、まあでもスタスタ坊主に触れたからにはこの禅画に触れてほしかったことろです。
しかし司馬遼太郎という、日本を代表する知識人、文化人であっても白隠和尚の禅画にあまり詳しくなかった、ということは文化の在り方を示唆するものではあるのでしょう。
私たちは禅についてあまりに知らなすぎるのです。