弁護士大久保康弘のブログ

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南朝ゆかりの建武中興十五社

前回のブログで金剛寺観心寺展のことを書き、その2つの寺が南朝の拠点となっていたことに触れました。

以前から南朝に関心がありましたが、ここで南朝関係の神社のことを書いてみたいと思います。

鎌倉幕府が滅び、建武の中興があり、南北朝時代となったという歴史の流れですが、明治になって建武の中興に貢献した方々を祀る神社が創建されました、建武中興十五社というようです。

吉野神宮後醍醐天皇

鎌倉宮護良親王

井伊谷宮宗良親王

八代宮懐良親王

金崎宮尊良親王恒良親王

小御門神社藤原師賢

菊池神社(菊池武時、武重、武光)

湊川神社楠木正成

名和神社名和長年

阿部野神社北畠親房、顕家)

藤島神社新田義貞

結城神社(結城宗広)

霊山神社北畠親房、顕家、顕信、守親)

四條畷神社楠木正行

北畠神社(北畠顕能

 

これらの神社はいずれも明治期に、南朝を正統としたことから南朝関係というよう建武の中興に貢献した方々を顕彰するために創建されました。

 

このうち今までに行ったことがあるのは

吉野神宮鎌倉宮湊川神社阿部野神社藤島神社四條畷神社です。

 

この中で一番驚いたのが鎌倉宮です。

拝殿の裏には小さな洞窟というか岩穴がありました。そこは、護良親王が幽閉されていたという伝説がある岩穴でした。

実際にはそこが幽閉場所ではなかったようですが、それより、幽閉されていたという場所を神聖なものとして参拝させようというのが何とも言えない感じでした。

 

また湊川神社楠木正成の戦没地とされており、また墓があるのですが、正式名称は「嗚呼忠臣楠公乃墓」となっています。

 

このあたりの過剰さがいかにも明治になって南朝の忠臣を顕彰するという国家プロジェクトならでは、という感があります。