前回のブログで金剛寺と観心寺展のことを書き、その2つの寺が南朝の拠点となっていたことに触れました。
以前から南朝に関心がありましたが、ここで南朝関係の神社のことを書いてみたいと思います。
鎌倉幕府が滅び、建武の中興があり、南北朝時代となったという歴史の流れですが、明治になって建武の中興に貢献した方々を祀る神社が創建されました、建武中興十五社というようです。
八代宮(懐良親王)
菊池宮神社(菊池武時、武重、武光)
結城神社(結城宗広)
北畠神社(北畠顕能)
これらの神社はいずれも明治期に、南朝を正統としたことから南朝関係というよう建武の中興に貢献した方々を顕彰するために創建されました。
このうち今までに行ったことがあるのは
吉野神宮、鎌倉宮、湊川神社、阿部野神社、藤島神社、四條畷神社です。
この中で一番驚いたのが鎌倉宮です。
拝殿の裏には小さな洞窟というか岩穴がありました。そこは、護良親王が幽閉されていたという伝説がある岩穴でした。
実際にはそこが幽閉場所ではなかったようですが、それより、幽閉されていたという場所を神聖なものとして参拝させようというのが何とも言えない感じでした。
また湊川神社は楠木正成の戦没地とされており、また墓があるのですが、正式名称は「嗚呼忠臣楠公乃墓」となっています。
このあたりの過剰さがいかにも明治になって南朝の忠臣を顕彰するという国家プロジェクトならでは、という感があります。