弁護士大久保康弘のブログ

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野中規雄氏の死と洋楽の幸福だった時代

8月13日、元CBSソニーのディレクター、野中規雄氏が亡くなられました。75歳でした。

氏は洋楽ディレクターとして、エアロスミスを売り出したり、チープトリックat武道館を制作するなどの実績があります。下記の本にはそれらを含めたディレクターとしての半生が詳しく書いてあります。

 

 

この本で面白かったのが、野中氏がCBSソニーに入社した1972年の音楽事情。当時日本で絶大な人気を誇ったミッシェルポルナレフのこと。アルバートハモンドの「落ち葉のコンチェルト」の邦題や売り出し戦略。世界歌謡祭という昔あったイベントの裏話としては、アバになる直前のビョルンアンドベニーや、「ハローリバプール」がヒットしたカプリコーンのエピソードも面白く読めました。

エアロスミスの箇所では、セカンドの飛べ!エアロスミスが全米74位となっていますが、全米100位以内には入らなかったにもかかわらずゴールドディスクを取った、つまり地道な活動でロングセラーとなったと記憶しています。

共感したのが無人島に持って行く一枚は何かと言われたらクイーンⅡというところ。サイドブラックは擦り切れるまで何回聴いたか、というのは私と同じです。

 

ところで、私は野中さんと言えばクラッシュ、と思っているのですが、この本ではパールハーバー79の全面オビとシングルコレクションの話が中心で、野中さんが言っていた、クラッシュは自分だ、というような共感の部分があまり詳しく書かれていません。これは残念というより、レコード会社のディレクターとしてはこれが最大の実績だということでしょう。

野中さんとクラッシュについては項を改めて書こうと思います。

さて題名にもなったチープトリック。

 

この本を読みながら何度も繰り返し武道館ライブの「甘い罠」を聴いていましたが、この甘いポップなロックン・ロールに、観衆がクライン、クライン、とレスポンスする様を聴いて、ああこれは洋楽の幸福な時代の最後だったんだな、と改めて思いました。

このライブが1978年、同じ年に日本でもパンクの嵐が吹き荒れ、そして79年にはジョイディヴィジョンのアンノウンプレジャースがリリースされるのですから、時代が一気に変わってしまったのでしょう。