近鉄学園前駅からほど近い、大和文華館にて開催されている柳沢淇園展を見ました。
赤穗浪士で有名な柳沢吉保の甲府藩の家老の家に生まれ、後半生は大和郡山に転封となりました。柳沢吉保の偈も展示されていました。
濃いですね。
柳沢淇園は、1703年生まれ、1758年死去で、江戸中期頃に活躍したことになりますが、この布袋などは、すでにデザイン的要素が現れています。大黒も似たような構図でした。
このようなデザイン的要素が後の鶴亭や若冲につながっていくということで、鶴亭(
1722-85)の画も展示されていました。ちなみに若冲は1716年生まれ、1800年没です。
また柳沢淇園は書簡も面白く、同じ紙に一行おきに墨と朱で交互に書いたり、スペースを区切って3つの内容で書いてみたり、変わった試みをしていました。
晩年には瀬戸内海と日本海をつなぐため、市川と丸山川をつなぐ運河開発にかかわったようで、その書簡も出ていました。壮大な構想ですがさすがに無茶で、これで命を縮めたとも言われています。
11月12日まで。