弁護士大久保康弘のブログ

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「陰陽師」ゆかりの地を訪ねて

今シーズンのフリーで羽生君が演じるのが「陰陽師」。2年前のプログラムをマイナーチェンジしてオリンピックシーズンのプログラムとしました。NHK杯の欠場は残念でしたが早く回復してくれることを願います。

ちょうど京都秋の特別公開で、陰陽師に関係する大将軍八神社の宝物が公開され、そこから晴明神社にも立ち寄りましたので、土曜日には交野に行き陰陽道に関連する星田妙見を訪ねましたのでまとめてみました。

まずは大将軍八神社。京都の西陣にあります。京都駅から山陰線で円町に行き、そこから北の方にあるくと商店街がありその一角にあります。

 

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外見は何ということもないのですが、宝物館に祀られている神像が圧巻です。

宝物館では、1階は大将軍神像、2階に土御門家の天文に関する展示がありました。

まずは星曼荼羅のパネルが展示されていますが、これは奥にある大将軍像の説明となっています。以下は京都国立博物館のサイトから見つけた画像です。

 

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この星曼荼羅が、奥の部屋で神像により展開されています。武官と神官がずらりと並んでいますが、なぜか童子像が一体あります。

 

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さて2階の目玉はこの天球儀。「天地明察」の主人公、渋川春海が使っていたものだということです。

 

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さてここからは一条妖怪ストリートとなっている商店街から、北野商店街を歩いて、報土寺に行きました。ここは陰陽師とはあまり関係なさそうですが、写真を載せておきます。

 報土寺では阿弥陀如来像が博物館から里帰りしていました。

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その後は時間ができたので、歩いて晴明神社を経て冷泉家に行くことにしました。

晴明神社の鳥居の前に立って驚きました。何と太陽が2箇所から射しているではありませんか。

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右側はビルの窓の反射ですが、しかしこのような妖術を使うとは。晴明神社おそるべし。

絵馬は羽生結弦選手を応援するものが多かったのですが、右下のものは違うのではないかな。

 

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NHK杯を欠場して以来、早い回復を願うファンが晴明神社を訪れて祈願しているということです。

この日は冷泉家を見て京阪で大阪に戻りました。 

 

 

さて11月11日の土曜日、陰陽道関連ということで交野市の機物神社、星田神社、星田妙見宮に行きました。

このあたりを訪問しようと思ったのは、本の整理をしていたら次のような本が出てきたからです。 

陰陽師ロード――安倍晴明名所案内

陰陽師ロード――安倍晴明名所案内

 

安倍晴明名所案内という副題がついています。何とタイミングよく出てきてくれたのでしょうか。 

 

 

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 まずは機物神社。この神社の祭神は天棚機比売大神ですが、これは織姫ですね。

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続いては星田神社。  

 

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そして本日のメイン、星田妙見宮へ。ここは北斗七星を祀っています。

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すぐ近くは住宅地なのに、鳥居をくぐると深山の趣があります。

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石段をかなり登り、上に上がると本殿です。

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展望が開けたところからは交野、枚方を望むことができます。

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帰りは別の道から降りると、七星塚を全部回ることができます。

これはその一つ、文曲星。

 

 

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ということで、偶然に導かれていくつかの史跡をめぐりましたが、普段あまり見ることのない、摩訶不思議な感じを受けることが多く、なかなか楽しい史跡巡りでした。

 

2017NHK杯フィギュア

11月10日から、大阪市中央体育館でNHK杯フィギュアスケートが開催されました。 

 2017NHK杯フィギュア

 

初日だけ現地観戦することができました。2日目のフリーは見たかったのですが、何度トライしても全くかすりもしませんでした。これまで遠方なので観戦を見送ったケース(去年のNHK杯など)はありましたが、大阪開催なので、見たかったのですが、チケットをトレードで買おうとしてもあまりに高値で断念せざるを得ませんでした。

その高値の原因となった羽生君は欠場。残念ですが仕方ありません。

 

結局、土曜日は交野市の陰陽師に関係する所を訪問し、それから家でテレビ観戦することにしました。

 

さて今回は、女子シングルについて、浅田真央の幻影という補助線からみていきたいと思います。

 

私がフィギュアスケートを初めて会場で見たのが2005年のNHK杯、その時には浅田真央は出ていなかったのですが、この年にグランプリシリーズにデビューしていました。翌年のNHK杯で初優勝し、それから昨年の全日本選手権のフリーまで見ましたので、私のフィギュアスケート観戦は浅田真央の存在がデフォルトになっていました。 

 

浅田真央といえば3Aですが、今大会でも3Aを見ることができました。

トライしたのは長洲未来。2008年代々木でのNHK杯で初めて見たときは、小柄な子供がきびきび動いているという印象でしたが、その後体が大きくなり一時不振でしたが、昨年あたりから再度一線級に戻ってきました。その彼女が今シーズン、3Aを習得したことには驚かされました。

浅田真央の試合の時は、6分間練習の後半は一身に注目を集め、まず2Aを2回跳んで、最後に3Aにトライして終るという流れでしたが、3Aが決まると会場からどよめきが起きたものでした。

長洲未来もSP、フリーの両方とも3Aにトライして着氷してみせると、やはり会場から大きなどよめきが。女子の場合、この大きなどよめきは3Aを着氷したときだけにみられるものです。このどよめきを聞けただけでも、会場に行った甲斐がありました。

 

また本郷理華浅田真央と実はライバルというべき関係で、2人揃って出た試合での点数があまりに近いことに驚きますが、昨年浅田真央が不調だったのと同じように不調になってしまったことにも因縁を感じました。

 

最後に取り上げるのが宮原知子のフリー、蝶々夫人蝶々夫人というと、浅田真央の復帰した2015年のフリーのプログラムと、どうしても比較することになってしまいます。

今回初めてこのフリーのプログラムを観ることができました。ジャンプが上がっていないなど、まだ練習が足りないという点はありましたが、それより残念だったのはプログラムが盛り上がりに欠けたことです。

浅田真央のプログラムでは、ボーカルが「ある晴れた日」のあの有名なフレーズを力強く歌い上げるところでイーグルを披露するところが大きな山場で、冒頭の3Aとともに見せ場になっていました。

 


プッチーニ 《蝶々夫人》 「ある晴れた日に」 マリア・カラス(1)

この4分10秒過ぎくらいのフレーズですね。

 

が、残念ながら今回の宮原のプログラムは、ピアノで少しだけそのメロディが出ては来るのですが、ほんの少しだけで、盛り上がるところがあまりなく終ってしまいました。ジャンプなどは、これから良くなってくるとは思いますが、曲の構成も考えてほしいと思います。今ならまだ変えられると思いますので。

 

  

 

京都2017秋の特別公開 南山城(現光寺、常念寺、西念寺、大智寺、常念寺精華町)

毎年春、秋の恒例の京都非公開寺院特別公開。今回は南山城の寺社が公開されるということで、現光寺、常念寺、西念寺、大智寺、常念寺(精華町)の5ヶ寺を訪問しました。このあたりは一般の方には交通の便がよくなくて不便だと思いますが、私の家からは近く車で行くことができるので有り難いです。

 

まずは現光寺に行きます。加茂駅を目指して走りますが、加茂には何回か行ったり帰ったりしていますが、163号線を走るのと違って毎回方向がよく分からなくなります。今回も途中でよく分らなくなり南加茂台ニュータウンに入りましたが、何とか加茂駅の付近に出ることができました。

 

加茂駅からしばらく走ると現光寺の臨時駐車場が見えてきました。ここは広い臨時駐車場があるのでありがたいです。車を止め、それほど歩くこともなく着きました。

ここは無住になっており、海住山寺さんが管理されているようです。

 

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この本堂の手前に新しい収蔵庫があり、小さいので10人ほどで交替して入ります。その中に重文の十一面観音座像が祀られています。坐像というのが珍しいですね。お顔はきりっとした感じです。

 

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周りには四天王が取り囲むように祀られています。 

拝観の手引きより増長天像を。

 

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次に多聞山常念寺(木津川市)に行くことにします。ここはそれほど離れておらず、さきほどの現光寺で詳しい地図をもらえたのでそれを頼りに運転していきます。迷うことなく着きました。

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ここは駐車場があるにはあるのですが、タクシーが止まっていたりして止められず、少し行きすぎたところに、迷惑にならない場所があったので止めました。

 

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少し石段を登ると広々とした空間が広がります。 

本堂です。

 

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天台真盛宗の本山ということですが、建物は結構新しく、奥には大きな観音があります。

本尊は阿弥陀如来南北朝時代のものです。

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南北朝時代。後ろはもちろん最近作られた物です。

釈迦、薬師、阿弥陀のそれぞれが三尊とされていました。

この地蔵菩薩半跏像は平安時代後期のもの。

 

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続いては西念寺に行きました。

ここは加茂より木津駅に近いのですが、道がよくわからず、そのうち広いニュータウンのようなところに出てしまいました。何とか踏切を渡り府道に出て、鹿背山のバス停まで来ました。ここから分岐します。

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 ここも駐車場がよく分からなかったのですが、手前に車を停める場所はありました。

ここは平地から山に少し入った集落の奥にあり、静かな隠れ古寺という風情があります。宗派は西山浄土宗です。

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本堂では阿弥陀如来、薬師堂では薬師如来を拝観。

 

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また千手観音像も本堂にて拝観できました。

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次は木津の最後になる大智寺です。国道24号線が木津川を渡る橋のたもとにあるのですが、近くまで来たのに最後のところで道が分からない。

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国道をくぐる手前(東側)にパチンコ屋さんがありそこてに止めて歩きました。

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厨子の中に文殊菩薩と十一面観音がありますが、暗いので説明員の人が照明を当ててようやく見えます。

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さて最後は精華町の方の慈親山常念寺。祝園駅の東にあり、道もだいたい分かります。

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近くに臨時駐車場があって有難く停めさせていただきましたが、帰りに見てみると係の人のためということでした。寺に入る道は細く軽自動車しか入れません。少し北に駐車場がありますがこれは他の寺の駐車場ですので停めないようにして下さい。 

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 ここは融通念仏宗の寺です。本山は平野の大念仏寺。

 

 

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ここでは薬師堂にて平安時代前期の菩薩型立像を拝観。重文です。

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 薬師堂にあることからも推測できるように、以前は左手に薬壺を持つ手を後補されて薬師如来とされていましたが、現在では神仏習合的な菩薩形立像とされています。菩薩形立像はこの間大阪でも同じ呼び名のものを見ましたがかなり違っています。

 

 以上5ヶ寺、こういう機会でもなければなかなか拝観できないお寺に行くことができて楽しく過ごせました。

三連休の行動記録

 

先週金曜からの三連休はかなり充実していました。

まず金曜日は京都に。和久傳で昼食を食べました。

柿の器にほうれん草の白和え

 

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 雲丹と木の子の茶碗蒸しあんかけ

 

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 海老いも饅頭、鴨ミンチ入り

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子持ち鮎のかまめし

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お菓子 白いんげん餡をいただきました。

それから京都国立博物館に行き、国宝展(3期)を見ました。この模様はまた別エントリで書きます。


土曜日は朝から恒例の、「京都非公開寺院特別拝観」で公開されている、南山城の5ヶ寺を訪問しました。これも別エントリで書きます。2時半頃には家に帰り、それから昼寝したので休めました。


日曜日は朝から買い物をして昼前から出かけて京都に行きました。この日は西陣方面で「京都非公開寺院特別拝観」で公開されている大将軍八神社と報土寺を目的にしていましたが、夜の予定まで時間があったので、晴明神社を経て冷泉家を訪問しました。

そして出町柳から京阪特急に乗り、丹波橋から京橋までの間に熟睡して大阪に。四ッ橋のライブハウスで知り合いのライブを見ました。

3日間続けてこれだけ活動したのですが、土曜日の昼寝が良かったのかさほど疲れることはありませんでした。

PVが10000を超えました。

当ブログをご覧いただきありがとうございます。

11月4日に、当ブログのアクセス数累計が10000 PVを超えました。

皆さまのご厚意に感謝いたします。

これからもよろしくお願いします。



柳沢淇園@大和文華館

 

近鉄学園前駅からほど近い、大和文華館にて開催されている柳沢淇園展を見ました。

 

「柳沢淇園」の画像検索結果

 

赤穗浪士で有名な柳沢吉保甲府藩の家老の家に生まれ、後半生は大和郡山に転封となりました。柳沢吉保の偈も展示されていました。

 

「柳沢淇園」の画像検索結果

濃いですね。 

 

柳沢淇園は、1703年生まれ、1758年死去で、江戸中期頃に活躍したことになりますが、この布袋などは、すでにデザイン的要素が現れています。大黒も似たような構図でした。

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このようなデザイン的要素が後の鶴亭や若冲につながっていくということで、鶴亭(

1722-85)の画も展示されていました。ちなみに若冲は1716年生まれ、1800年没です。

 

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また柳沢淇園は書簡も面白く、同じ紙に一行おきに墨と朱で交互に書いたり、スペースを区切って3つの内容で書いてみたり、変わった試みをしていました。

晩年には瀬戸内海と日本海をつなぐため、市川と丸山川をつなぐ運河開発にかかわったようで、その書簡も出ていました。壮大な構想ですがさすがに無茶で、これで命を縮めたとも言われています。

11月12日まで。 

追悼 遠藤賢司

遠藤賢司の訃報に接しました。

 

中学生の頃1973年12月27日、なんばの高島屋ホールで、六番町コンサートというのをやっていて、何と100円だったので見に行きました。他に金森幸介、布谷文夫が出演。

曲目はあまり覚えていませんが、「満足できるかな」を延々と熱演して盛り上がっていたことは覚えています。

 


満足できるかな / 遠藤賢司

 

この当時はロック魂を持ちながらも基本的にはフォークでしたが、パンクの登場に触発されて大変身を遂げます。

 その成果が「東京ワッショイ」

東京ワッショイ

東京ワッショイ

 

いきなり髪も短くなって大変身。

 


東京ワッショイー遠藤賢司

 

これは衝撃的でした。

 

その後も「不滅の男」などの名曲を生み出していました.


不滅の男 / 遠藤賢司

 

また「輪島の瞳」に見られるように幅広い題材を取り上げており、それは近年になっても変わることはありませんでした。

2014年のアルバムがこちら。

恋の歌(紙ジャケット仕様)

恋の歌(紙ジャケット仕様)

 

 

このアルバムのラストが「真央ちゃんとヨナちゃん」。

このテーマで曲を書いた人はこの人しかいないだろうと思います。

およそ50年を駆け抜けた遠藤賢司

 

素晴らしい純音楽の世界を残してくれたことに感謝します。