5月27日の続きです。山の辺の道の檜原神社から大神神社を歩いた記録は前回のブログに書きましたが、訪れる人も多く、隠れ社寺とはいえないメジャーな社寺でした。
しかしその続きである今回は、Googleマップにも出てこない神社まで行きました。まさに隠れ社寺なので隠れ社寺探訪記シリーズとして公開します。
まずは大神神社から南に。しばらく行くと平等寺というお寺がありました。
立派な門です。
平等寺は大神神社の神宮寺で、なかなか広い境内を持ち、釈迦堂(二重塔)もあるお寺ですが、誰もいません。先ほどの檜原神社から大神神社までの道とは大違いです。
ここは島津ゆかりの寺ということで、関ヶ原で敵中突破した島津義弘が70日滞在していたとのことです。
さらに南に歩くと志貴御縣坐神社。ここは磯城瑞籬宮の跡地の石碑と案内があります。
さらに南に歩くと金屋石仏があります。収蔵庫内に安置されています。
さらに南へ行くと海柘榴市。古代の国際交易の中心です。看板があるだけですが、近くに海柘榴市観音があります。
さて、いよいよ金折神社です。実は今日、山の辺の道を歩いたのはこの金折神社に行くことが最大の目的でした。
これは保田與重郎の「わが萬葉集」の冒頭を読み返していたら、金折神社から金刺宮を訪れたという記述があったことによります。
以下、同書より引用します。
「ここから私らは、渋谷の崇神天皇の山辺道勾岡上陵に参拝し、ついで大神神社に参詣した。さらに檜原社、穴師川から引き返して、金折神社に詣でた。金折神社は、古の海柘榴市、今の金屋の村のさき、佐野渡に近いところにある。(中略)社の位置は街道から一町あまり、山の細い急道を上がったところにある。御神体は直径4尺くらいの榊の大木一株である。御祭神は宇都志日金折命となっている」
これは是非金折神社に行かなければ、となりました。
ところが先にも書いたようにGoogleマップには出てきません。
桜井市の観光案内では下の地図が出てきました。
これでは神社に至る道があるのか心配になります。
伊勢街道を川沿いに進み、山側に登る道がないか注意してみますがありません。橋の手前に車道があり、これは多分違うよなぁ、と思いながら登るとケアハウスと天理教がありました。
引き返して少し戻り、どうもさっき通り過ぎた給食センターの裏手があやしいと思い、車止めされた道を入ってみることにしました。
その道のどん詰まりに、山に入る道というか階段状になっている道が二つありました。最初に左手の道を登りましたがどうやら違うようで引き返しました。
次に右の道を登ります。
途中で倒木に阻まれましたが何とか潜り抜けました。
そしてついにそれらしい場所に辿り着きました。
御神体は榊の大木とありましたが、残念な姿になっています。しかし表示もあり、ここが金折神社に間違いありません。
金折神社になんとか参拝できたので、次は最後の目的地、金刺宮伝承地へ。橋を渡り対岸に渡ります。
こちらは金折神社と異なり、すぐに見つかりました。
この碑は保田與重郎の書。
かなり疲れてしまい、何となく駅に向かって歩いていると記憶にある青物商が。
隣は保田與重郎の生家です。
ここで今回の旅を終えるに相応しいと思い、桜井駅へと向かいました。